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7月3日 渋沢栄一がお札になった日

 7月3日は、渋沢栄一がお札になった日埼玉県深谷市が制定し、日本記念日協会が認定した。

 現在の深谷市に生まれ、「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一氏。郷土の偉人である渋沢氏が2024年7月3日に発行された一万円札の肖像となり、「紙幣の顔」となった。その誇らしく喜ばしい日をお祝いするとともに、渋沢氏の顕彰と一万円札発行の盛り上がりを全国に広めていくことが目的。

 日付は、一万円札が発行された日から、7月3日とした。

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 渋沢栄一は天保11年2月13日(1840年3月16日)に現在の埼玉県深谷市で生まれ、昭和6年11月11日(1931年)に没した人物で、近代日本経済の基礎を築いた「近代日本経済の父」として広く知られています。その生涯では約500もの企業設立に関わり、東京商工会議所の初代会頭を務めるなど、社会公共事業にも尽力しました。

 幼少期から藍玉の製造や養蚕を手伝い、父市郎右衛門から学問の手ほどきを受けたほか、いとこの尾高惇忠に師事して『論語』などを学びました。尊王攘夷思想の影響を受けた若き栄一は、高崎城奪取計画に関わったものの直前で中止し、京都へ向かい一橋家に仕える機会を得ました。

 慶応三年には徳川昭武に随行してパリ万国博覧会を見学し、欧州諸国の産業や制度を肌で感じた経験が、その後の活動に大きな影響を与えました。また、随行の道中で見聞を広めたことが、合本組織による企業経営という発想につながりました。

 明治維新後の維新政府では大蔵省に出仕し、大蔵大丞を務めた後に退官し、民間経済人として第一国立銀行の総監役に就任しました。その後、王子製紙や東京瓦斯、大阪紡績など数多くの近代企業の設立と発展に力を尽くし、日本の産業界を牽引しました。

 渋沢栄一は『論語』を経営の規範とする「道徳経済合一説」を唱え、経済活動に道義を取り入れることを提唱しました。この考えは数多の企業に浸透し、人材と資本を公益に資する形で組織化する指針となりました。

 大正五年に実業界から引退した後も、社会公共事業や国際親善活動に尽力し、その功績は二〇二四年に新一万円札の肖像として選ばれるなど、現代にも受け継がれています。また、NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公として描かれたことで、広く社会にその生涯と理念が再認識されました。

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