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7月3日 津田梅子がお札になった日

津田梅子がお札になった日

 7月3日は、津田梅子がお札になった日学校法人津田塾大学が制定し、日本記念日協会が認定した。

 日本初の女子留学生の一人で、女性の高等教育に生涯尽力し、日本における女子高等教育の先駆者として、女子英学塾(現・津田塾大学)を創設した津田梅子氏。2024年7月3日に発行された五千円札の肖像となり、「紙幣の顔」となったことから、あらためて津田氏の功績を顕彰するのが目的。

 日付は、五千円札が発行された日から、7月3日とした。

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 津田梅子は明治維新直後に生まれ、幼少期から米国へ留学した経験と深い信念をもって、女性の高等教育の道を切り開いた人物です。江戸牛込(現在の東京・新宿区)で生まれ、父は幕臣から農学者へと転じた津田仙、母は啓蒙主義を支持する人物でした。その家庭環境が、梅子にとって広い視野を育む土壌となりました。

 彼女がわずか六歳で岩倉使節団とともにアメリカに渡ったことは極めて画期的で、当時の日本社会では考えられない決断でした。ワシントンD.C.ではランマン夫妻に預けられ、中等教育を受け英語を習得し、さらには洗礼を受けてキリスト教徒となりました。十一年間にわたる米国生活で培った知性と自立心は、帰国後の彼女にとって大きな武器となりました。

 帰国後は華族女学校などで教鞭をとりましたが、日本の女性教育が限られた階層に限定され、しかも教養より礼儀作法重視である現実に憂いを抱きます。その思いを胸に、二度目の渡米を決意。ブリンマー大学で生物学や教育学を学び、優秀な成績で修業を終えました。同時に、他の日本人女性の留学支援のために資金を集め、公演活動や学術交流を通してネットワークを築きました。

 帰国後の1900年、梅子は自身の教育理念を実現する場として、東京麹町に「女子英学塾」を設立しました。そこでは個性を尊重し、英語だけでなく教養全体を重んじる教育が展開され、米国での経験を反映した自由で実践的な学びの場となりました。当初は十人ほどの生徒から始まり、志を同じくする教師も米国から招かれました。

 やがて女子英学塾は、1933年には津田英学塾、1948年には津田塾大学へと改称され、現在に至る大学へと成長しました。

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