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7月5日 北里柴三郎がお札になった日

 7月5日は、北里柴三郎がお札になった日。北里大学や北里研究所病院などを運営する学校法人北里研究所が制定し、日本記念日協会が認定した。

 北里柴三郎氏は血清療法の開発、ペスト菌の発見など多くの功績を残し「近代日本医学の父」と呼ばれる。2024年7月3日に発行された千円札の肖像となり、「紙幣の顔」となった。その誇らしく喜ばしい日をお祝いし、北里氏の顕彰と千円札発行の盛り上がりを全国に広めていくことが目的。

 日付は、千円札が発行された日から、7月5日とした。

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 北里柴三郎は、1853年に肥後国(現在の熊本県)で生まれ、明治から昭和初期にかけて活躍した医学者です。彼は、細菌学の分野で多くの功績を残し、日本の近代医学の発展に大きく貢献しました。特に、破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、血清療法の開発にも寄与しました。

 彼は、東京大学医学部を卒業後、内務省衛生局に勤務し、1885年にドイツへ留学しました。ベルリン大学でローベルト・コッホのもとで研究を行い、破傷風菌の純粋培養に成功しました。さらに、破傷風菌の毒素を中和する抗体を発見し、血清療法の基礎を築きました。

 1892年に帰国後、福澤諭吉らの支援を受けて私立伝染病研究所を設立し、伝染病の予防と研究に取り組みました。翌年には、日本初の結核専門病院「土筆ヶ岡養生園」を開設し、結核の予防と治療に尽力しました。また、1894年には香港でペスト菌を発見し、世界的な評価を受けました。

 1914年、伝染病研究所が文部省に移管されたことを機に所長を辞任し、北里研究所を設立しました。ここでは、多くの優秀な門下生を育て、細菌学や免疫学の教育に力を注ぎました。さらに、1917年には慶應義塾大学医学科を創設し、初代学科長として医学教育の発展に寄与しました。

 北里柴三郎は、1931年に78歳で亡くなりましたが、その功績は現在も高く評価されています。彼の業績を称え、2024年に発行された新千円札には、彼の肖像が採用されました。

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